一度だけ、今生天皇のお姿を拝見したことがある。
有楽町付近の横断歩道を渡ろうとした際に警官に静止され、横断をちょっと待つようにと。厳重な警備の場面に出くわし「誰か外国の要人でも来ているのかな?」などと思っていたら、天皇皇后両陛下を乗せた車が近づいてきた。
歩行者もそれに気づき盛んに手を振る。それに気づかれた両陛下は、ドアのガラスを下げて手を振られた。
「ここまで厳重に警備してるんですから、どうか窓(たぶん防弾ガラス)は閉めておいてください」などと思っているうちに、あっという間に過ぎ去った。敬意もなにも示すこともできずに、ただ立ち尽くしただけであった。
それに対し周囲の人たちは、キャーキャー言いながら手を振る女子高生に、深々とお辞儀をするご老人と、様々な反応。「象徴」という意味について初めて深く考えた瞬間であった。
いまから遡ること30年前、昭和と平成の狭間は「閉塞感」が満ち満ちた時代であった。いつか必ず訪れるであろうX-DAYに怯えながら、時間が過ぎ去るのを待つような日々。崩御という言葉も知らず、元号が変わるということも初めて知ることとなり。
今生天皇の生前退位の意向を聞いた時は驚いたが、あの時代を知っている者からすると、本当に良い決断であったと心の底から思う。
新しい元号発表のときは本当にワクワクしたし、元号が変わる瞬間を笑顔で通り過ぎることが、こんなに幸せなことなのかと噛み締めることもできる。
平成の30年あまりは「戦争のない時代」表現された。それでも世界の各地では紛争も多数発生したし、日本においては未曾有の大災害も発生した。個人的には、東日本大震災の直後には「これは国が滅ぶかもしれない」などと半ば本気で思ったりもした。
そんな時でも今生天皇は、常に国民に寄り添い、ビデオメッセージ等でお気持ちを告げられ、また被災地に赴くことで被災者を励まし続けた。
ああ「象徴」とは、こういうことであるのか。
昭和から平成だけでも、国のあり方も国民の意識も大きく変わった。令和においては、さらにスピードを増すことだろう。国民が生まれそして死に、それをつないでいくことで変わりづつけていく。それでも国の中心に「象徴」が存在することは、本当に頼もしくて本当にありがたい。たとえば自分が明日事故で死んだとしても、日本という国はそのまま続いていく。そんな頼もしさ。
生まれ持ったモノの大きさゆえ、自由を謳歌することは難しかったのかもしれない。本来なら崩御なされるまで続くはずだったのかもしれない。それでもこれからは、少しだけ自由な時間を楽しんでいただけるのではないかと。それが、国民の一人として強く望むことであります。
30年あまりの平成の時代は、良いこともあれば悪いこともあった。平坦な日々でもなかったはずだけど、今生天皇が「象徴」でおわせられたことは、本当にありがたかったと改めて思う。本当にありがとうございました。